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ナイトライド・ストーリー

Chapter 85

今朝、母が満80歳の生涯を終えました。三人の息子、それも三男の私と二男の兄は双子なので育児はさぞかし大変だっただろうと思います。今と違ってイクメンなどという言葉がない時代、母が3人のおむつ交換、それもパンパースがない時代、全自動ではない洗濯機でおむつを洗濯するだけでも一仕事だったでしょう。一緒に写る写真にはそんな苦労を微塵も感じさせない笑顔。3人とも勉強の出来が悪いので、塾への送迎や、学校に遅刻しそうなときに送ってもらったこと、試験前日に母が夜中まで勉強を手伝ってくれたことを思い出します。

今年の正月明けに父が脳梗塞で病院に担ぎこまれ、その父の入院中に母が体調不良を訴えたので精密検査を受けたところ末期の胆嚢癌と診断され、何も手が付けられない状況とわかりました。父は記憶を失いましたが命を取り留め、入れ代わりで入院した母が先に逝ってしまいました。もともと体は丈夫な方ではなかったのですが、それまで大きな病気をすることもなく、強気な性格もあって周りがそれに気づくこともありませんでした。症状が進行しても痛みや弱音を吐くこともなく最後まで大きく目を見開き強気で癌と戦いました。

毎日のように父と喧嘩をしている割には、「パパが死んだら私もすぐ死ぬから」と仲がいい不思議な夫婦でしたが父より早く逝ってしまったのは皮肉です。

母は株が好きで自称財テクの天才だそうで、「パパのように頭はよくないけども勘が鋭い」のが自慢でした。確かに私がプラモデルを内緒で買って、こっそり玄関口に忍ばせておき、なに食わぬ顔して勝手口から入ると、母が「また買ってきたでしょ」と気付かれてギクッとすることが多くありました。

以前にも触れたように起業家を育てる環境は、人と同じではなくユニークさを容認する空気が必要かもしれません。父は「サラリーマンにはなるな」「一本調子の高校野球の選手宣誓は格好悪い」「大晦日の紅白を観る奴は馬鹿」「指揮者小澤征爾がタートルネックのセーターで天皇陛下から表彰を受ける姿は格好いい」と言い、贅沢を戒めて家は屋根が傾いていてもお構いなし。車はマイナーないすゞの117クーペを何台も乗り継ぎ、家電はソニー製を愛用し出来そこないのデジカメや高価なビデオデッキ等誰も持っていない時期に購入し、会話の中でもホンダ、ソニーといったベンチャー企業の話題が多かった。母はそんな変わり者の父を周りにうまく馴染ませる緩衝材の役割でした。父が周りの反感を買いそうなことを言うと、母が本心はこうだけれど言葉足らずでと取り繕っていました。母の入院の知らせに心配して下さった父の顧問先や知人が多かったことも、母が父同様に頼りにされていたことを伺わせました。

私は、母に来週18日の文部科学省主催のシンポジウムまで生きていて欲しいと願いましたが叶いませんでした。昨日見舞った時点では目を大きく見開いて私の言うことに応えてくれたように感じたのですが。産学連携ベンチャーという言葉がまだ聞きなれない10年以上前、ベンチャーキャピタルから株を買い戻すお金を工面してくれた母。父が「わしゃ知らん」と突き放すと、母は父に内緒で家が建つほどの大金を気前よく貸してくれました。何かと小事には厳しくうるさい母でしたが、大事で頼りになるのは母でした。お金は捨てたつもりだったのかもしれません。

こういう育った家庭環境も含めて私の経験したことが後進のために生かせると確信し、シンポジウムの基調講演とパネラーを快諾しました。

弊社が本当の成功を収める前に逝ってしまった母のためにも弊社が大成功し、また、講演を聴講して下さった方々の中から多くの成功事例が出ることで母の恩に少しでも報いることができるのではないか思います。

「ママ、本当にありがとう。これからは何も心配せずに安らかに眠って下さい。天国であれがうちの息子と自慢できるようになるからね」

平成26年06月12日

母永眠にあたり

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