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ナイトライド・ストーリー

Chapter 44

新年が始まった。弊社は、今年の4月で丸10年を迎える。最近、弊社を成功ベンチャーとして評価して頂くことがあるが、私は成功したとは思っていない。なぜなら、成功と失敗に違いはないからである。即ち、成功は失敗の上に成り立っているのだから、失敗の延長に過ぎない。従って、失敗とは、途中で止めることを言い、成功と失敗の違いは、紙一重だ。

私は、毎朝、窓拭きをするが、その雑巾が擦り切れてボロボロになっている。とても窓拭きに使えるような雑巾には見えないが、新品の雑巾は使いものにならない。この雑巾は、かれこれ5年以上は使い続けているので、さすがに、破れた穴があちこちに引っ掛かるので、もうそろそろ引退を宣言しようと考えている。私は、会社の経営も、このボロ雑巾と同じだと思う。最初のうちは毛足が長いから、よく拭き取れるように思うが、実際には柔らか過ぎて汚れが落ち難い。それが、使い込むうちに毛足が短くなり、弾力性がなくなる。適当に硬い方がこびりついた頑固な汚れは落とし易い。また、古くなったからと言って新しいものと交換していたらもったいない。限界まで使い込めば、資源の有効活用にもなる。大体、赤字の会社を見れば、雑巾が真っ白だ。昨年末も全従業員で大掃除をしたが、毎年掃除のレベルが高くなり、きれいになる。掃除のレベルがこれだけ進歩するのだから、製品、サービス等が年を追う毎にレベルアップするのは当然だ。それが昨年の半導体オブ・ザ・イヤー優秀賞の受賞に繋がった。

正月に創業当時を思い返し、ジェームズ・C・コリンズ著のビジョナリーカンパニー2飛躍の法則を読み返した。『飛躍した企業は、偉大になるために、なすべきことに関心を集中させた訳ではなかった。それと変わらぬ程、「してはならないこと」と「止めるべきこと」を重視している』そこには、有名なCEOも事業戦略も、成功報酬も、ましてや技術革新さえ必要ないとしている。

その意味するところは、あたり前のことをあたり前にできるかどうかが成功の鍵ということだろう。ただ、このあたり前の意味するところは、現状維持という意味ではない。不可能と思われることを実現するために実行できることはあたり前の積み重ねという意味だ。つまり、多くが努力を怠っているか、見せかけの努力に終わっている。大リーグのイチロー選手が安打記録を更新できるのも、あたり前の健康管理と弛まぬ努力の結果ということだ。


昨年は、裁判員制度が始まり、脱官僚といった国の役割に対する不信感が形となって表れた年だった。私も、昨年、労働基準監督署から是正命令を受け、更に労働事件で自ら法廷に立って裁判を争うという経験をして、日本の行政と司法システムに疑問を抱いた。経営的観点なくして、勤労意欲の乏しい従業員を保護することが社会的に必要とは考え難い。正に、毎朝の掃除が就業にあたるかどうかが争点だったのだが、不景気になればなる程、行政や司法の浮世離れした感覚が、ボロ雑巾のように国際競争に揉まれる民間の感覚と、大きくズレて行くのを感じる。司法試験という難関を突破し、司法修習を優秀な成績で卒業しなければ裁判官にはなれないが、そのように成績優秀な裁判官が裁判官として優秀かどうかは全く別次元の問題だ。これは、研究開発にも当てはまる。

14年前、私が経済団体の事務局長として発行誌の取材をした時、日亜化学工業の小川信夫会長(当時)は、「学業優秀な学生は研究開発に向かない。なぜなら、やる前から、開発できない理由をもっともらしく説明する。だからうちは成績優秀な学生は採用しない」とおっしゃった。弊社でも大幅に効率を高めたのは博士号を持たないエンジニア達であり、全く同感である。成績と実務能力は必ずしも結び付かない。採用試験の成績だけで採否を決め、その後、本人の適正に関する評価が行われない行政・司法制度には限界がある。ましてや、裁判官のように人を裁く職業は、人間という不可解な動物の本質がわからなければならない。私は、裁判員制度に否定的だったが、そのような問題を是正するための苦肉の策だったのかと納得した。すべての裁判官や行政に携わる人々の常識が欠如している訳ではないと思うが、このボロ雑巾のように、世間の痛みがわかるよう常日頃から努力し、公正な判断力を養って欲しい。


リーマンショック以降、景気の悪い話が多いが、私は、今が正常な状態だと認識すべきだと思う。それをあたかも、今が異常事態であり、思い切った財政出動で、景気を刺激すべきだという議論は間違っている。東京の街を見渡せば、明らかに80年代のバブル崩壊以降に建てられた高層ビルの数の方が多い。北京、上海の建設ラッシュは、元が何もないところに建てるから当分は過剰にはならないが、東京のように、既に過剰気味だった低いビルを壊して高層化した品川、丸の内、六本木のビルは、明らかに過剰だ。

私は、世界景気が、更に悪化することはあっても、元に戻ることはないと確信する。もし、景気をよくするつもりならば、金融緩和、規制緩和等で、もう一度バブルを起こすしかない。但し、今度は、市場原理に委ねるのではなく、恣意的にコントロールしたバブルを起こす。市場主義の活力と統制経済のバランスを取る。ところが、今、世界は、急速に社会主義化している。金融バブル崩壊の反動で、ある程度は仕方ないとは思うが、金融、雇用、社会保障等、行政が出しゃばり過ぎることは危険だ。更にまずいことに脱官僚を叫ぶ政治家自身も、非常識なことが露呈しつつある。このような状況で、政治、行政の役割に過剰な期待を抱いてはいけない。所詮、赤字国債を財源とするバラマキで産業の活性化や雇用を創出できる程度は知れている。むしろ、小泉政権がなし得なかったさまざまな分野で規制緩和を進め、新規参入を促すことで、経済を活性化し、雇用を創出するようにしなければならない。

まあ、言っても聞かないのが、日本人の悪いところであり、太平洋戦争でも原爆を落とされるまで改まらなかった。現政権が、膨大な行財政赤字を積み上げ、借金が続かなくなれば、自ずと正しい方向に軌道修正されるかもしれない。

すべての国民が、このボロ雑巾のように、役割を果たせば日本は素晴らしい国になる。首相が毎朝、国会の窓拭きをするようになれば、日本はもっとよくなる。

ボロ雑巾

平成22年1月6日

新年にあたって

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